水月ノート

人の悟りを得る、水に月の宿るがごとし

自分が自分でしかなく他の誰かには一生なれないこと

中国で、日本語教師をしていたことがある。
赴任してみると、予想もしていなかった問題が次々に起きて、悪戦苦闘の毎日だった。
最初の頃、壁にぶちあたるたびに、中国に来たことを後悔した。

そんな最初の二週間が過ぎて、大学2年の学生たちが歓迎会を開いてくれた。
日本語を学ぶ学生たちにとって、教師は唯一の直接話せるネイティブスピーカーだ。
できるだけ多くの学生に会話の機会を与えたくて、席を何度か移動した。

その席で、隣に座った女子学生Yと一緒に写真を撮った。
それほど明るくない店内で、顔が明るく映った。その写真を見て、Yが
「先生、お化粧してる...?」
と聞いた。
中国では、当時メンズメイクする人はいなかった。私はBBクリームを塗っているだけだったが、それでもメイクの話をするのは相手がどう思うかわからなくて、ごまかした。
でもそんな心配をする必要はなかった。Yは、その後、私の目をまっすぐ見て、
「私、先生が、好きになりました」
と言った。
ドキッとした。
そんな気持ちを素直に伝えられる勇気を、見習いたいと思った。

桜の花

その後また二週間くらい過ぎて、歓迎会のクラスの何人かと、遠足に行った。
4月の初旬で、桜が咲き始める時期だった。青島で桜の名所といえば、中山公園だ。
余談だが、中国には各地に中山公園がある。中山というのは、孫中山、つまり孫文のことだ。孫文が日本に留学中、近所の表札に見かけた中山という姓を気に入って、中山と名乗るようになった。中国の中心となる山になりたい、と思ったかどうか。

一緒に行った数名のなかには、Yもいて、私の妻もいた。
中山公園を出たとき、妻が、他の学生から
「Yさんは、先生のことが好きなんです」
と聞いた、と私に伝えた。そして続けて、
「Yさんの話し相手になってあげて」
と言った。
でもYは、恥ずかしそうにしていて、話があまり続かなかった。
いまなら、そんなときにどんな話をすればいいのかがわかる。そのときは、まだわからなかった。

桜をみると、刷り込まれたように「あはれ」を感じる。
桜は、「咲く」から、「さくら」なのだ。しかしやはり、桜は散るものだ。
日本人だな、と思う。
中国や韓国でも桜は爛漫と咲き、静かに散っていく。
その物言わぬ姿を見て、中国人や韓国人も、日本人と同じことを感じるのだろうか。
そんなことを聞いて、その答えがYesであってもNoであっても、同じかどうかわからない。
実は日本人同士でも、同じかどうかわからないのだ。

一片の 落花見送る 静かかな(虚子)

フランス文学科の遠い先輩である批評家の小林秀雄は、かつてこんなことを書いていた。
世の中は、劇場なのだ、と。それを客席から見て、云々するのが批評かもしれない。でもその壇上にあがって劇の一員として参加してみなければ、本質はわからない。参加の体験、それが人生なのだ。そしてそこで感じるもの、その抑え難い感情、それが「あはれ」なのだ、と。

思うに、「あはれ」とは、限界の認識に伴う感情なのだ。
自分が自分であって他の誰かではないこと、世界がこの世界であって他の世界ではないこと、今が今であって他のいつかではないこと。
なりたくても一生なれない自分の夢の姿があり、行きたくても一生行けない場所があり、会いたくても一生会えない人がいること。
桜は散るものであって、咲き続けることはできないこと。
好きな人がいても、ずっと隣にいることはできないこと。
いま、好きな人と一緒にいて、どれだけ幸せでも、その瞬間瞬間は過ぎ去っていくものであること。
過ぎ去って、留めておくことができないこと。
留めておくことができないのを、どうすることもできないこと。
そんな限界を認識して、受け入れること。

教師をしている間、いろいろな学生に出会い、食事に行き、遊びに行った。
しかし、Yから誘われることはなかった。
忘れたのだろう、と思った。
学生が、私のことを忘れていくことは、喜ばしいことだ。
たいていの場合、それは彼氏ができたとか、勉強その他で、充実した毎日を送っていることを意味する。
私は教師として、来るものは決して拒まないが、去るものを追うことはできない。
出会いがあれば、別れがあることを、受け入れなければならない。

未来が、可能性に満ち溢れていて、なんでも可能だと思うとき、人は「あはれ」を感じない。
子供のときは、そんな状態だろう。
それでも、いつか死という限界が訪れる。
自分の限界を受け入れること、それを「覚悟」と、ハイデガーは『存在と時間』のなかで表現した。その覚悟の上に生きるとき、人の生が実存的なものになる。
しかし、限界とは、いつか来る未来の死だけではない。
人間は、過去を変えることができない。過去とは、死の蓄積だ。人間は、一瞬一瞬死にゆく存在なのだ。
そして一瞬前までの過去の延長として存在する現在も、実は変えることができない。
ハイデガーが日本人であれば、「覚悟」をしたときに感ずる感情を、「あはれ」と表現したに違いない。

理系は、法則を扱う。法則は、反復可能性の上に存在する。
ニュートンの力学の法則は、『Philosophiae Naturalis Principia Mathematica(自然哲学の数学的諸原理)』を著した1687年当初も、今も、未来も、いつでも成立する。
実験をして再現できなければ、どれほど高名な説であっても棄却される。逆にいえば、実験をすればいつでも再現できるということだ。
法則は、時間を超越する。

しかし文系は、一度限りの現象を扱う。歴史も、事件も、人も、再現することができない、一度限りの現象である。
歴史のうちに法則めいたものを発見することがあっても、一度限りの法則に過ぎない。実験して再現することはできない。歴史に限らず、社会、文化、文学、経済、立法、すべてが、人間世界というこの一度限りの現象を扱うものだ。
一度限りのものであるから、そこには重みが生ずる。
極論を言えば、文系の分野は何であれ、その本質には常に「あはれ」が存在する。

なお、語中の「は」は、現在は「wa」と発音する。今では「あわれ(哀れ、憐れ)」という言葉になっている。
しかし過去には「ha」であり、さらに昔は「pa」と発音していた。
「あはれ」の昔の発音は「apare」、この名残として残っている「あっぱれ(天晴れ)」という言葉は、昔は「あはれ」と同一の言葉であった。
「あわれ」と「あっぱれ」の語源が同じ、というのは、「あはれ」の意味を探る手がかりになるだろう。

人間は、自分でしかありえない。
ある境遇に生まれついた運命も、その後に選択してきた人生も、その人を形作ると同時に、その人であること以外のすべての選択肢を諦めることを、強いる。
ある人が、その人でしかありえないということは、本質的に「かなしい」ことである。そのかなしさは、「あわれ」である。
一方、自分であることを受け入れ、覚悟をした人が、劇の壇上で精一杯自分という役を演じ切ることがある。そんな姿を見るとき、そこで感じるもの、それが「あっぱれ」である。
「あはれ」とは、限界の認識に伴う感情なのだ。

2年生だった学生たちが、2年過ぎて、卒業を迎える時期が来た。
私はその前に日本語教師を辞めていたが、再び青島を訪ねた。
そのとき、ある学生から、Yの話を聞いた。
「同級生と別れることよりも、先生に会えなくなることが、一番さびしい」
とYが泣いていた、とのことだった。
忘れたと思っていたのは、誤解だった。
2年間も、一途に、思いを秘めていたのだった。
私は本当に驚いた。
「あっぱれ」であった。

最終日に、Yと山に登った。
中国の大学は、日本の大学と違って、キャンパスが広大だ。中で4万人が住んでいる、ちょっとした街のようだ。キャンパスの中に、池があり、林があり、小さいながらも山があった。
山を降りて、校門に向かいながら、思い出話をした。
Yは私とのことを克明に覚えていた。
私のほうが思い出せないことがことがあると、
「先生は、もう忘れてしまいました」
と口を尖らせて、私を叱った。

校門について、別れるとき、Yが言った。
「您可以抱抱我吗(抱きしめてくれますか)」
抱擁すると、Yが泣き出した。
私も、涙が出た。

「あはれ」は、マルティン・ブーバーの『我と汝』にもつながる。
ブーバーは、すべての人間関係は「私とあなた」と「私とそれ」の2種類に分けられる、と論じた。
相手を自分の行為の対象物として捉えるとき、それを「私とそれ」の関係、と呼ぶ。
ビジネス上の交渉相手であれば、「私とそれ」の関係である。
自分にとって有利な商談ができれば、成功である。
それが相手にとって不利なものであっても、かなしむ人は少ない。

一方、相手が自分と同じように人格をもったひとりの人間だと認識するとき、相手もまた行為の主体であると捉えるとき、それを「私とあなた」の関係、と呼ぶ。
仲の良い家族であれば、相手が困っているとき、自分の困りごととして一緒に考え、身を切って助けようとするだろう。

他者に「あはれ」を感じるのは、「私とあなた」の関係のときである。
桜に「あはれ」を感じるのは、桜が精一杯咲き、散っていく姿が自分のことであるように感ずるからだ。
Yに「あはれ」を感じるのは、Yの姿が自分のことであるように感ずるからだ。

もちろん、私にはYへの恋愛感情はない。私の気持ちとYの気持ちは、重さが全然違うだろう。
けれども、それほど違いがあるのだろうか、とも思う。
私にとって、私を大事にしてくれる人は誰もが大切な存在だ。
私にしてあげられることは、本当に少ない。でも、気にはかけている。
Yが私の隣にいられないとき、私もYの隣にいてあげられない。
Yが自分の境遇を受け入れているように、私もまた自分の境遇を受け入れている。
同じ、ではないだろうか。

学生だけに限らない。
私は人間であり、桜とは違うが、桜をよくよく見ていると、自分と桜と、それほど大きな違いはないのではないか、とも感じる。
そんなとき、自分は桜との間になる距離がなくなって、一体化したような気分を感じる。

自分は、自分でしかない。
けれども、そんなことはどうでもいいことなのかもしれない。

中国を離れて韓国に行き、大学の語学コースで今度は学生として韓国語を勉強しているとき、授業で思い出を話す機会があり、Yの思い出を話した。
教室が静まり返った。
そのクラスで仲の良かったJさんが、私の思い出話が一番面白かった、と言ってくれた。

思い出の醍醐味は、その記憶を思い出したり話したりすることが、またもうひとつの思い出になることかもしれない。
思い出の連鎖、とでもいおうか。

そんな語学コースの授業をきっかけにYのことを思い出し、連絡をとってみた。
Yは高校教師になっていた。
「先生からメッセージをもらって、すごく嬉しくて、他のことを全部無視してすぐ返事を書いてます」
とYからすぐ返信があった。
私も、その気持ちが、よくわかる。

大学のときに私が誤解していたことを、聞いてみた。
Yは、遊びに誘う勇気がなかった、残念だ、と答えてくれた。
Yとの思い出は、他の学生にくらべて、少ない。でも、印象的だった。

好きな人と、つき合う人とは、別の概念だ。
異性とつき合うのは、一人としかできないが、好きな人はたくさんいたほうがいい。
好きな人というのは、学ぶところのある人、でもあるからだ。
いろいろな人に出会って、いろいろなことを学んでいってほしい、と思っている。
私にできることは、そのいろいろな経験の森のうちの一本の木として、束の間、木陰を提供することだけだ。

「あはれ」を端的に表現した俳句に、こんなものがある。

蜘蛛に生まれ 網を張らねば ならぬかな(虚子)

人に生まれ、人として生きねばならない我々、我々でしかない我々は、弱く小さく、あわれな、かなしい存在である。
しかし、そんな存在でしかなく、そんな存在であること、それ以上の喜びを、私は知らない。