水月ノート

人の悟りを得る、水に月の宿るがごとし

愛してる、セックスしよう

遺跡の奥は、林になっていた。
林には小道があり、その入り口に、少女が立っていた。
しばらく、見つめ合った。数秒だったかもしれない。
少女が、「うちに来る?」と、手招きをした。

私にとって、大事な人が誰か、というのは、非常にシンプルだ。
私を大事にしてくれる人、それが私の大事な人だ。
私に関心のない人に対しては、私も関心がない。
では、私を大事にしてくれる人とは、どういう人なのか。
それはシンプルではない。共通点がある気がする。しかし明瞭ではない。

「純粋な人」ではないか、と思っていた。
「純粋な人」かどうかは、初めて会った時に一瞬で判断できる。
しかし判断基準や根拠はよくわからない。
それで「純粋な人」の本質は何か、興味があった。

 

チュニジアの海沿いには、ギリシア風の街並みが広がる

大学生の頃、チュニジアに旅行に行った。
チュニジアの北には地中海に面したギリシア風の街並みがあり、中部にはローマ時代の遺跡があり、南部にはサハラ砂漠が広がっている。
北アフリカ料理のクスクスも有名だが、なによりパンとオリーブオイルがおいしい。
オリーブオイルが健康にいいからと、飲む人までいる。
いまでも、憧れの土地だ。

首都チュニスは、北緯36度、東京と同じだ。アフリカとはいえ、それほど暑くない。
チュニスに着いてすぐ、腕時計を盗まれた。
カフェで話しかけてきた背の高い男性が、おしゃべりした後、時計を見たいと言った。
通常ならありえない話だが、なぜかそのときは腕時計を外して渡してしまった。もちろん、返してくれなかった。
そういうときは、大声で叫んで助けを求めるべきだ。注目を集めれば、悪人は逃げられない。
でもショックがあると、頭が真っ白になって、適切な行動がとれなくなるものだ。
私は大声を出せずに、そのまま諦めてしまった。
痴漢に遭っても抵抗できない、という話を耳にすることがあると、私はこのときの何もできなかった自分を思い出す。
そんなことがあって、チュニスが嫌になってすぐ南に移動した。

スターウォーズのロケ地となったことで有名なマトマタに行くと、穴居住宅がホテルになっていて、宿泊することができる。旅行に来た!という気分を味わえる。
散歩していると、クスクスを石臼で挽いているおばさんがいた。珍しいので立ち止まって眺めていると、見学料金を求められたので、走って逃げた。別の意味で、旅行に来た!という気分を味わえた。

マトマタの穴居住宅

ベルベル人の穴居住宅も興味深いが、チュニジアといえばやはりサハラ砂漠だ。
現地の人は、観光客がなんでサハラに行きたがるのか、と不思議がる。「何もないのに」と言う。サハラとは「何もない」という意味だ。
サハラ砂漠の入り口、ドゥーズまで行くと、ラクダに乗るツアーがあった。ガイドの人が、砂漠の中で、晩御飯にパンを焼いてくれたのが格別においしかった。夜、地平線上に光る街明かりを見ながら、砂の上で寝た。
ガイドの人は英語が話せなかったので、ツアーで同行したシカゴ出身の学生に、フランス語の簡単な通訳をしてあげた。静まり返った暗闇の中で、シカゴジャズの話を聞いた。
地球に生きている、と思った。
フランスの詩人のことを聞かれたので、アルチュール・ランボーが詩の世界から離れて北アフリカに渡った話をした。学生は、でもランボーは好きではない、と答えた。好きでない理由は、聞かなくてもわかる気がした。

スファックスから乗った帰りの電車では、隣に座った青年とおしゃべりをした。
チュニジア人のほとんどはイスラム教徒だが、99%の人は、イスラム教を信じていないと思う、と言っていた。宗教と政治が腐敗していて、失業率が高く、若者の生活が苦しい、と説明してくれた。真面目で、好感がもてた。だんだんチュニジアが好きになってきた。

再び戻ったチュニスでは、日本人にも会った。
地中海で獲れた魚を、冷凍して日本に輸出する仕事をしている人だった。
家に泊めてもらった。一人暮らしなのに、2家族くらい住めそうなほど広い家に住んでいた。
こんなところでこんな暮らしをしている人もいるのか、と衝撃を受けた。
こんな異国の地に暮らす経験ができて、うらやましい、と思った。
しかしながら本人は、チュニジアの暮らしに飽きて、一人暮らしもさびしく、早く日本に帰りたい、と愚痴をこぼした。
現地で友人がいても、母国語で理解しあえる深さには及ばない。
さびしい気持ちもよく理解できた。けれども、一度はそんな暮らしをしてみたい、とも思った。

チュニスで腕時計を奪った男性や、マトマタで見学料を要求したおばさんにとって、私は食べるべき餌に過ぎなかった。
砂漠に同行したシカゴの学生や、スファックスの偽ムスリムチュニスの独身貴族は、私欲なく、私といる時間を大事にしてくれた。「純粋な人」だった。

そして最後に、カルタゴに行った。
古代ローマ時代のアントニヌス浴場という遺跡を見て回った。
遺跡の奥は、林になっていた。
林には小道があり、その入り口に、少女が立っていた。
しばらく、見つめ合った。数秒だったかもしれない。
少女が、「うちに来る?」と、手招きをした。

小道を歩いて林を抜けると、家があった。
少女の名前は、覚えていない。Cとしよう。年は、18歳くらいだった。
家に着くと、Cの母親が出迎えてくれて、クスクスを作ってくれる、と言った。
レストランなのかな?と思った。レストランではなかった。
なら、竜宮城?と思った。竜宮城、だったかもしれない。
「ハリッサを、入れる?」と母親に聞かれた。ハリッサというのは、唐辛子で作る調味料のことだ。クスクスの辛さを調整するのに使う。

食事を作っている間、Cが自分の部屋を案内してくれた。
簡素な家だったが、小さいながらも自分の部屋があった。
部屋に、空手のポスターが貼ってあった。空手を習っている、と言った。

Cの兄が帰ってきて、一緒に食事をした。兄は、妹をどう思うか、と聞いた。
かわいい、と答えると、満足そうにしていた。たぶん、自慢の妹だったのだろう。

Cが、フランス語の勉強の話をしたので、そのとき持っていたボードレールの詩集を見せてあげた。
表紙に、女の人のヌードが描かれていた。
Cが「これは?」と尋ねた。
私は、18世紀の詩集だ、と説明しようとして(本当は19世紀だ)
「Dix-huitième siècle(18世紀)」と言ったが、よく聞き取れなかったようで、Cは
「Je t'aime, sex(愛してる、セックスしよう)って言ったの?」と恥ずかしそうに、少し期待を込めた目で見つめながら、聞き返した。
ドギマギした。

Cの母親と、遺跡に行って散歩した。
遺跡に来る観光客相手に、お土産を売る商売をしていた。ブレスレットなどを見せてくれた。
ガイドがついている団体観光客には、そういう商売は難しい。個人観光客がターゲットだが、個人で来る人は少ない。
生活が苦しい、少し援助してほしい、と言った。
なるほど、と思った。大きな金額を要求されるかもしれないと思って、緊張した。
いくら要るのか、と聞いた。
母親の口にした金額は、レストランで食べるクスクスの代金より少ない額だった!
私は親切な人を疑ったことを恥じた。
いくらあげても惜しくなかったが、貧乏学生で、あまりお金が残っていなかったので、母親の言う額より少し多い金額しかあげられなかった。
これくらいだったら、がっかりさせるかも、と思った。
それでも、とても喜んでくれた...!
私は再び、相手を疑ったことを恥じた...。

実は、「純粋な人」とは、人の性格とか考え方など、人に属する何かなのではない。
自分と相手との関係性である。
Cの母親も、観光客にお土産を売るときは、お客さんとして接するしかないだろう。でないと商売ができない。
私は、娘の連れてきた人だったので、家族のように接してくれたのだろう。
同じ人が、家族には自分の一部のように接し、お客さんには他人として接する。
自分の一部のように接してくれるとき、その人が「純粋な人」に見える。

母親は、私を見て「イタリア人とか、フランス人とか、日本人とか、ヨーロッパの人は、ハンサムだ」と言った。
ヨーロッパ人というのは、彼女にとって、「海の向こうからやってくる人たち」という感じなのかな、と思った。
ヨーロッパとアジアを区別できない知識レベルだと、観光ガイドは難しい。それでも、よく子供たちを立派に育てたものだ、と感心した。
観光客として出会ったフランス人から、帰国後に送ってもらった、という絵葉書を見せてもらった。
絵葉書の住所に出せば、届くから、きっと手紙を書いてね、と何度も念を押された。

夜になった。
観光ガイドをしているCの叔父が帰ってきて、屋外の簡易テーブルで一緒にワインとチーズをいただいた。
家のある場所は高台になっていて、眼下に海が見下ろせた。夜景がきれいだった。
経済的には貧しい家だったかもしれない。でも、なんと豊かなのだろう、と思った。
こんな家に、住みたいと思った。
もちろん、現実的な話ではない。そこでは私のできる仕事がないことは、わかっていた。

Cと母親が、「泊まっていってよ」と誘ってくれた。
残念なことに、その日は最後の日だった!
夜中に出発する飛行機の時間が迫っていて、帰らなければならなかった!

お別れを告げると、Cはもう一度自分の部屋に連れて行ってくれた。
Cが「キスして」と言って、口を出して、目を閉じた。
キスをして、抱きしめた。私にとって、たぶん初めてのキスだった。Cにとっても初めてだったかどうかは、知らない。
そんな風に、つきあう前の女性からキスをせがまれたのは、このときと、あともう一回しかない。

Cはどうして、そんなにすぐに私を気に入ったのだろうか、と思う。
しかし同時に、そんなことは何の疑問でもない、とも思う。
人が誰かを気に入るとき、誰かを自分の一部のように感じるとき、誰かの前で「純粋な人」になるとき、そこに時間は必要ない。
初対面であっても、話せばほぼ一瞬で判断できる。
それはなぜか。

Cは何かしら、自分に似たものを、私の中に見出したのだと思う。
自分にあるもの、自分の一部が、相手の中にあるから、相手を自分の一部のように感じるのだろう。
私は、Cに似ていたのだ。
Cにとって、その似ている部分がどこだったかのを、言葉にするのは難しい。
けれども、それはCにとって自分の中にあるもの、自分のよく知っているものだから、それを相手が持っているときに敏感に察知し、一瞬で識別することができたのだろう。
そしてCが識別した私との共通点は、私が識別したCとの共通点でもある。
私も、Cとの似た部分がどこかを、言葉にするのは難しい。でも、認識できる。

私にとって、誰かが「純粋な人」に映るとしたら、その人にとっても、私が「純粋な人」に映っていることだろう。そしてその人は、私によく似た人なのだろう。
似たところのない人、相手を自分の一部のように感じることがない人に対しては、共感することもないから、情報交換の相手になれるのがせいぜいなのだろう。

Cも、Cの母親も、私にとっては純粋な人だった。その純粋さを、見習いたいと思った。

家のある高台から歩いて大通りに出て、空港に向かうためタクシーを拾った。
窓越しに、母親が「手紙を書いて。また、遊びに来て」と言って、頬にキスしてくれた。

日本に帰った後、手紙を書いた。
返事はなかった。
チュニジアは遠かった。Cに再び会うことはなかった。

ほんの少し、状況が違っていたら、この人と結婚していたかもしれないな、と思う出会いがいくつかあった。
Cはそのうちのひとりだ。
もし、あの日が最後の日でなかったら。
あるいはもし、もう一度チュニジアに行っていたら。
Cと結婚し、チュニスに住んで、魚を日本に輸出する仕事を引き継いでいたかもしれない。
そして週末になると、カルタゴの高台に行って、夜の海を見ながらワインを飲んでいたかもしれない。
チュニジアは、パンとオリーブオイルがおいしい。ワインとチーズもおいしい。

チュニジアはいまでも、憧れの土地だ。