水月ノート

人の悟りを得る、水に月の宿るがごとし

仕事で「何を」するかは顧客が決めるが、「いかに」するかは自分が決める

学生の進路相談に乗るとき、心苦しいときがある。
どんな業界があるか、どんな会社に入ると苦労するか、日本への留学のメリットは何か、そんなことを話すことはできる。
楽をして生きたいとか、お金を稼ぎたいとか、目標の決まっている学生にとっては、それで十分だ。
でも、それだけでは足りないことがある。

そもそも、人生で何をするべきなのか。
安定した給料のいい仕事をして、できるだけ苦労のない生活をして、いい人に出会って結婚し、子供を産み育てる。
それが、大概の親が子供に望む、幸福な人生への最短距離だろう。
けれども、人間は、幸福になるために、生きているのか。

自分が幸せになりたいと思うこと、それは畢竟、私利私欲だ。
幸福という私利私欲を満たすこと、それが、人生で目指すべきことなのか。

その自問にためらいなくYesと言える人は、根本的な進路の悩みを持たない。
条件のよい仕事を探して、就職するだけだ。

しかしYesと言えない人、そしてそれに代わる「人生で目指すべきこと」が見つからない人は、進路に悩む。
10人に一人くらいは、そんな学生がいる。

Xは、そんな学生のひとりだった。

最初の授業のときのXを、よく覚えている。教室の最前列の、右隅に、ひとりで座っていた。
好奇心に満ちた丸い目がきらきらした、純真な子だった。天使のようだった。

時々、学生から
「先生は、わたしたち女子学生のうち、誰が一番可愛いと思いますか」
そんな質問を受けることがある。
どの人も、それぞれ可愛いですよ、と答える。
それは事実だ。だが、体よく逃げられたと思って、質問した学生は不満げに頬を膨らませる。
でももうひとつの事実がある。頭の中では、大学で見てきた数百人の学生のうち、可愛い子と言われると真っ先にXの面影が思い浮かぶ。(※個人の感想です)

通常、可愛い子は、男子からも女子からも人気があるので、自然とクラスの中心になる。
隅にひとりで座っているのは、非常に珍しい。
右隅というのは、休憩時間に私が座って休む席の目の前だった。軽く雑談をした。

授業が終わって、帰るときは、教師にとってさびしい瞬間のひとつだ。
学生たちは、友達同士、楽しそうに帰っていく。
教師はそんな学生たちを見送ったあと、静かになった教室に残って、黒板をふいて、ひとりで帰る。
そんなとき、Xが
「先生、一緒に帰りましょう」
と言ってくれて、寮までの道を歩くひとときが好きだった。学生寮と教師寮はすぐ近くだった。
私が学生のときは、先生がさびしいかもしれないと配慮したことはなかった。
もう一度学生になったら、Xのような学生になりたいと思った。

Xが、私の家に遊びに来てくれる約束をした。
「先生、マンゴーが好きですか? 買っていきます」
(中国ではマンゴーが安くて美味しい)

約束の日の数日前のことだった。授業の後、Xと一緒に帰るとき、他の学生Nとも一緒になって、3人で帰った。
Nとも、遊びに来てくれる約束が別途あって、Nが「今度先生の家に行くときのことですけど...」と、そのことに触れた。
家に着いたあと、Xから音声メッセージが届いていた。
「先生、わたしはどうして、先生の家に最初に行く学生ではないですか? いや、いや、いやです」
うーん、可愛すぎる。思い出してもニヤニヤしてしまう。
結局、最初に家に遊びに来てくれたのは、やはりXだった。

 

ナズナ

中国では、春にナズナ(薺菜)を摘んで食べる。スープに入れたり、餃子に入れたりする。Xがそんな話をしてくれた。
日本でナズナを食べたことがないというと、休みの日に、ナズナを摘んで教師寮まで持ってきてくれた。

そんなことがあって、妻もXを可愛がるようになった。
お姉さんが大好きです、とXは妻に言った。
「先生とお姉さんは、わたしの理想です」ともよく言っていた。「でもわたしは、そうなれるかどうか、わかりません」

家が貧しい、と聞いた。
「クラスのみんなは、コンピュータを持ってます。コンピュータがないのは、わたしと、もう一人だけです」
だいぶ後になって、妻が韓国に戻って、私が月に一度中国から韓国に往復するようになったとき、妻はXを韓国に呼びたい、と言った。
Xが一生を左右する重要な時期、進路のことで悩んでいて、リフレッシュが必要だと思ったからだった。
飛行機代などお金は全部私たちが出すので、私が韓国に行くときに一緒に行きませんか、と誘った。
Xはものすごく興奮して、飛び上がらんばかりに喜んでくれた。

しかし、Xにとって人生初の海外旅行は、実現できなかった。
パスポートが取得できなかったのだ。

日本では国民なら誰でもパスポートをとれる。中国では違う、ということを、私は初めて知った。
パスポートをとるには、本人または親の不動産、職業、収入など、一定の経済的・社会的条件を満たさなければならない。
Xの家では、無理だった。

私は学生のとき、よくアルバイトをして、海外旅行に出かけた。
でも中国では、一生海外に行けない人も多い。
私は自分の経験を話すことにためらいを感じることもあった。
けれども、Xは喜んで興味深そうに耳を傾けてくれた。
「わたしも、いつかそんな経験ができるかな」と、遠い目をした。

会話の授業で、スピーチの時間があった。
テーマは自由だったが、ほとんどの学生は、友達や家族の話、趣味の話をした。
Xのスピーチは、独特だった。

「その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。
 その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。
 その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。」

論語』『孟子』『中庸』と並んで「四書」と呼ばれる儒教の経典に、『大学』がある。曽子という、孔子晩年の弟子が書いた。
これは『大学』の考えの根幹をなす一節だ。
「だから、<修身>が一番大事だと思います」と、Xはスピーチした。

日本でも、戦前は小学校に「修身」という道徳の授業があり、この一節は馴染み深いものだったようだ。
でも私のいたのは青島だった。青島は、山東省にある。山東省は、孔子の生まれた場所だ。
そんな儒教の本場で、いまも学生は修身を学んでいるのか。
新鮮な驚きだった。

人生で目指すべきことは、幸福なのか。
そんな問いに、いまでは、山東省の学生たちも、ほとんどがYesと答える。
けれども、少なくとも曽子は、そう考えなかった。
心を正しくし、身を修めること。つまり、行いを清くし、徳の高い人間になること。
日本語なら、一言で言える。やさしい人間になること。
それが人生で目指すべきことだ、と曽子は述べた。

そう思う人は、自己中心的な現代社会には馴染めず、進路に悩みやすい。

三島由紀夫も、そんなことを言っていた。
戦後になって、豊かになったけれども、思想という、人間の核をなすものが失われてしまった、と。
資本主義の基底にある自由市場経済では、各人が自分の利益だけ考えて行動すれば、全体が最適化される。
だから自己中心的であることは、自由市場において正しい。
みんな私利私欲を求めるようになった。お金を稼ぐ人がうらやましがられるようになった。
思想など、必要がなくなった。市場の需要だけを見ればよくなった。
それで、全体としては社会が豊かになっていった。

でもやはり、それだけだと、虚しさを感じる人もいるのだ。

Xが4年生になる前の夏休みのことだった。
学生は、基本的に、夏休みの間は学生寮に住めない。みな、故郷に帰っていく。
「わたしは、帰る家がありません」とXが言った。
「父も母も、それぞれ別の街に、出稼ぎにいって、故郷の家には誰もいません。ひとりで住むのは、こわいです」
妻が心配して、「うちに来る?」と言った。
もちろん、学生が教師の家に住むのは、現実的ではない。
Xは、家族に相談してなんとかしますと言って、帰っていった。

4年生になって、Xは進路のことで悩むようになった。
ウルムチに行こうかな」と言うこともあった。「どこか、遠いところに行きたい」

最後の授業の作文で、Xは村上春樹の『ノルウェイの森』について書いた。
ノルウェイの森』では、ワタナベ、直子、緑、永沢など、何組かのセックスと愛が語られる。
でも主題は性愛ではない、とXは論じた。登場人物たち誰もが、この世界に馴染めず、孤独を抱え、もがきながら生きている。
広大な世界のなかで、個人は風に吹かれる塵芥にすぎない。性愛は、その虚しさからの一時的な逃避に過ぎない、と。
Xらしい、と思った。同時に、「セックス」という表現に、ドキッとした。

村上春樹自身も、かつてそんなことを語っていた。
精神的な喪失感が、現代社会の特徴だ、と。
それに適合できず、漠然とした虚しさを抱える人がいる。
自分の書く物語は、癒しの物語なのだ、と。

国民の大多数が農家だった時代なら、そんな悩みはなかった。
食べていくために、食べ物をつくらなければならない。
それが仕事であれば、その必要性は疑う余地がない。
生きていくために必要なことをし、必要なものを作るのが仕事だった時代だ。

けれども豊穣の時代では、生きていくために必要なものは、既に潤沢に存在している。
99%の仕事は、これまで存在しなかった仕事、これまでなくても問題なかった仕事、生きていくために必要ではない仕事だ。
こんな仕事を、する必要があるのだろうか、と悩む。
もともと必要ではないのだから、必要性を感じられない。当たり前のことだ。

生きがいや、働きがいを、必要性に求める必要はないのだ。
現代は自由の時代だ。自分が価値あると思うこと、生活を豊かにしてくれると思うことを、自由に追求してよい。

けれども、ほとんどの人は、仕事は自由ではない、と考えている。
「言われたことをするのが仕事だ」と考えている。
自由に自分のしたいことができるのは、YouTuber、歌手や芸能人、漫画家や作家、サッカーなどスポーツ選手、等々、恵まれた特定の職業に就いた人だけだ、と考えている。(いま出した例が適切かはわからないが)
「したいこと」というのを、職業か何かだと、つまり「何をするか」なのだと、思っているわけだ。

実際には、どんな職業でも、「何をするか」において、自由はない。
仕事をするというのは、市場の中で需要に応じて労働を提供することだ。
何をするかは、顧客が決める。
顧客が求めるものを提供しなければ、仕事として成立しない。
言われたことをするのが仕事だ、という考えは、「何をするか」という点では、完全に正しい。

しかし、もう一度、胸に手を当てて、考えてみてほしい。
人生で目指すべきことは、何なのか。

やさしい人間になることだ、と私は強調したい。
心を正しくし、行いを清くし、徳の高い人間になること。
やさしい人間とは、人を幸せにする人間のことだ。
それは、顧客が求めるものでもある。
顧客が求めているのは、究極的には、自分が幸せになることだからだ。

ではどうすれば人を幸せにできるのか。
人に、人間として接すること。
人が困っているとき、あるいはしたいことがあるときに、それを自分の問題のように考え、共感すること。
そんな人の状況に耳を傾け、理解し、それを解決してあげようと努力すること。
その解決のために必要な勉強をし、専門技術を習得すること。
それが仕事の本質だ。
これらがすべて、「何を」ではなく「いかに」であることが、わかるだろうか。

中国にいたときの「仕事は何ですか」と聞かれれば、日本語教師だ、と答える。
日本語の授業をすること、そして学生の日本語能力を向上させること。
それが顧客である採用担当者や学生から要求されること、「言われたこと」だ。
でも私は内心では、日本語の授業をすることだけが仕事だとは考えていない。
それは表面的な形式に過ぎない。

日本語をともに学びながら、学ぶことの楽しさを共有すること。
ほめたり励ましたりして、自信が持てるようにしてあげること。
話し相手が必要な人がいたら、話し相手になってあげること。
私を必要としない人だったら、そっとしておいてあげること。
道に迷っている人がいたら、共に道を探してあげること。
二度とこない貴重な学生時代の、思い出を作る手助けをすること。
ときには友達のように、ときには親のように、そばで見守ること。
誰かの安心できる人に、信頼できる人に、尊敬できる人になること。

それが、私の考える私の仕事だ。
「どんな仕事をしてますか」と聞かれれば、「教師です」「エンジニアです」「遊んでます」と答える。
「人を喜ばせる仕事をしています」とは答えない。頭のおかしな人だと思われてしまう。
でも、内心では、そう思っている。頭がおかしいのだろう。
人を幸せにすること、それが私の仕事だ。私の生きる道でもある。

この地球に生まれ、暫くのあいだ生き、そして死んでいく。
この仮りそめの人生のなかでしてみたいこと、それは一言で言えば、この世とこの世に生きる人の愛し方を学ぶことだ、と考えている。

そしてそんな仕事をするには、もはや形式は重要ではない。
日本語教師である必要はない。
どんな仕事を通してであれ、人を幸せにすることができる。
生きていれば、何かを、しなければならない。でも、何をするかは、重要ではない。

「何を言うか」よりも「いかに言ってあげるか」で、「何をするか」よりも「いかにしてあげるか」で、人は喜んだり悲しんだりする。
「何を」よりも、「いかに」が遥かに重要なのだ。
「何を」は物質に、「いかに」は精神に属する。
そして、いかなる仕事でも、「何を」は自由ではないが、「いかに」は完全に自由だ。
言われたことをするのが、仕事なのではない。
言われたことを「いかに」するのかが、仕事なのだ。

仕事に限らず、人生におけるすべてのことは、「何を」ではなく「いかに」に、本質がある。
人生で起こることとは、すべてが人間関係の上に起こることだからだ。
安定した給料のいい仕事をして、できるだけ苦労のない生活をして、いい人に出会って結婚し、子供を産み育てる。
そんなことが人生なのではない。

いかに仕事をするか。いかに生活をするか。いかに結婚するか。いかに子供を育てるか。
いかに生きるか。

どこに誰として生まれるか、どの仕事に就くか、誰に出会うかは、世界があなたに与えるものだ。
「何を」は、努力もあるが運次第であり、自由ではない。
けれども、「いかに」について、世界は何一つあなたに与えてくれない。
「いかに」を、誰もあなたに命令することができない。
あなたが自分自身で考え、自分で作り出し、自分で実行しなければならない。

それが自分の人生を生きるということだ。
自分の人生をいかに生きるかは、完全に自分の自由なのだ。
人生は本質的に創造的なものなのだ。

そしてそれが不器用なものであれ、拙いものであれ、失敗に満ちたものであれ、誰もあなたを咎めたりしない。
「いかに」の部分において、誰にもあなたを批判する権利はない。
人はみな、人生の初心者だ。
挑戦の多い人ほど、失敗も多い。失敗が多いことは、誇っていい。
けれども、挑戦しなくても良い。
失敗を避けて、慎重に生きてきたのだとしたら、それも誇っていい。
人生は自由なのだ。
自分が価値あると思うこと、生活を豊かにしてくれると思うことを、自由に追求してよいのだ。

Xは、卒業後、教育関係の会社に就職した。
そして、ウルムチではないが、実家から遠く離れたところに行った。
大学時代の彼氏とは別れていて、別の男性に出会って、一緒に暮らしていた。
しかしやはり、現代社会に馴染めず、もがきながら生きているようだった。
「わたしは、自分の理想をまだ見出せていません」とXがメッセージを送ってくれた。
「自分がまだ幼稚な子供だと思います。恥ずかしいです」

「転職して新しい職場に入ってまだ半年なので、そんなに悩むことはないと思いますよ」と、私はありきたりな返事を送った。「最初は仕事を覚えるだけで大変なはずです。何年か経験を積めば、見えてくるものがあって、自分なりの仕事のしかたができるようになります。それまで、ゆっくり成長を楽しめばよいと思います。成長しようと焦ることはありません。人生が自然と成長させてくれます」

でもそんな返事を書いても、Xの悩みに応えきれた気がしなかった。
Xの送ってくれたメッセージに、正面からちゃんと答えたい、と思った。

この文章を、Xに、そしてひとりのXであるようなすべての人に、捧げたい。